RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
バッハのマタイ受難曲は私にとって特別な音楽だ。
初めて聴いたのは高校生の頃。今は亡きソルフェージュの先生がバリトン歌手で、ドイツのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と聖トーマス教会合唱団の「マタイ」を絶賛していたのがきっかけだった。聖トーマス教会はバッハ自身がカントルを務め、マタイ受難曲を初演した由緒ある教会でもある。年末にテレビでその「マタイ」が放送され、初めて聴くその崇高な音楽に衝撃を受けた。私自身はキリスト教徒でも何でもないが、それ以降現在に至るまで常に頭の片隅で鳴り響き続けているような気がする。もちろん録音でも様々な演奏を聴きまくり、今やスコアなしでもほぼ全編ドイツ語で歌えるくらい耳に馴染んでしまった。
バッハ:マタイ受難曲@聖トーマス教会
そんなマタイ受難曲を生演奏で、しかもこのコロナ禍に聴ける機会がやってきた。バッハ・コレギウム・ジャパンの公演である。
バッハ・コレギウム・ジャパンは世界的なバッハ演奏家であり、鍵盤楽器奏者、指揮者、音楽研究者としても名高い鈴木雅明が1990年にオリジナル楽器の精鋭たちで結成したオーケストラと合唱団。今年は創立30周年ということだ。バッハの宗教作品を演奏活動の中心に据え、なかでもカンタータ全曲演奏の録音は国内外で高く評価されている。私が存在を知ったのは、ちょうど彼らがスウェーデンのBISレーベルに録音活動を開始した頃だろうか。当時はメジャーでもマイナーでも録音活動が活発に行われていて、特にBISはマイナーレーベルながら個性的で優れたアーティストの素晴らしい録音を次々と発表していた。今やその看板アーティストとして確固たる地位を確立しているこのバッハ・コレギウム・ジャパン。チェリストには鈴木雅明の弟で近年指揮者としても大活躍している鈴木秀美、息子でやはり鍵盤楽器奏者として、また作曲家、プロデューサーなどマルチに活躍する鈴木優人も注目の存在だ。そんな彼らだが、近年はベートーヴェンなどの古典派、ストラヴィンスキーあたりまでレパートリーを広げつつあるが、真骨頂はやはりその名の通りバロック音楽とバッハ作品に他ならない。
鈴木雅明
しかしこのご時世である。特に声楽と合唱を伴うこの作品は新型コロナ感染の危険性を考えると特に慎重にならざるを得ない。考えてみるとドイツ語という言語は子音が強いので飛沫の危険性は高いかもしれない。オランダのアムステルダムで行われた、とあるコンサートではマタイ受難曲と対をなす作品、ヨハネ受難曲でクラスターが発生し、出演者が何人も亡くなるという恐ろしいニュースがあった。
そこでバッハ・コレギウム・ジャパンも東京オペラシティの公演ではかなり工夫を凝らしていた。もともとオケはオリジナル楽器の小編成なので、奏者同士の距離を開けても舞台上さほど問題はない。そこで楽器群は通常合唱が立つ位置にほぼ一列に並べ、その前に合唱。更に距離をおいて指揮者、横にソリストという具合。チェロだけは座って演奏するため後方では指揮が見られないので指揮前方に配置。アリアによっては楽器とデュエットとなるので、その場合はソリストの横に奏者が移動してくる、という変則的な形だ。もちろんアクリル板を立て、舞台入場時はソリストもマスクを着用していた。
もともと4月公演だったこのコンサート、こうした配置でのリハーサルが十分できていたのか、と考えるとなかなか難しい部分もあっただろう。しかも座席を半分にすることで、昼と夜の公演に分け、続けて演奏するという事情は出演者たちの疲労にも影響する。私は夜公演を聴いたのだが、やはり少し無理が祟っている感じはあった。またどうしても楽器ごとのまとまった響きに乏しいので、最初は違和感を覚えた。純粋に音楽として聴く響きとしては適さないかもしれない。しかし本来この「マタイ」はキリストの受難を描いた「劇(ドラマ)」である。そのストーリーを構成する主役はやはり歌であり、合唱なのだと考えると彼らが前面にいるということはとても自然なことのように感じられた。
バッハ・コレギウム・ジャパン
鈴木雅明の指揮もそれを裏付けるようにこの受難劇を敢えてとてもドラマティックに導いていく。ベテランのテノール、櫻田亮のエヴァンゲリストも単なる歴史の傍観者ではなく、この悲劇の中に没入する存在感を放っていた。舞台上には当然日本語字幕が表示されるのだが、その訳が非常に現代的で生々しく、どちらかというとCDなどの対訳の厳かな文語体に慣れ親しんでいた私には、俄かに自分がこの未曾有の混乱の世の中にいることをリアルに再認識させられるような効果もあった。とりわけ合唱は愚かな民衆の声を代表するものでありながら、バッハのその敬虔にして荘厳たる音楽の綾のなんという美しさ……。
人間の愚かさと美しさ、その全てが「マタイ」にはあるのだ。コロナ禍で聴いたこの日のマタイ受難曲は特別なものとして、バッハ・コレギウム・ジャパンの真摯な演奏とともに、客席にいた人々の中で永遠に鳴り続ける音楽となることだろう。
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