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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

ペレアスとメリザンド

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

あまりに暑いとコンサートに出かけて行くのさえ億劫になってくる。更に言えば聴く音楽も選びたくなってくるのが心情である。

夏に似合うクラシック音楽は何か。実は私がこのコラムを最初に書き始めたのは2017年のやはり7月で、そんなテーマだったのを思い出した。普段、番組の原稿などを書くことがあっても、ある程度のボリュームで文章を書くのに全然慣れていなかった当時の内容は今読み返すと赤面ものなのだが、今年も同じように考えてみると、フォルムのかっちりとしたドイツ音楽よりも、やはりフランス音楽のような感覚的に輪郭の曖昧なものが夏にはしっくりとくる。

そういえば昔、夏休みにNHKのFM放送から流れてきた、女性合唱を伴うなんとも幻想的で美しい音楽に思わず耳を傾けたことがあった。アナウンスを聴くとそれはドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」の音楽だった。東洋的でもある独特の和声と、少し気怠いムードの旋律線は当時中学生だっただろうか、10代の私にも官能的な響きを持って聴こえた。

そのドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」の上演が新国立劇場であると知って私はぐっと気持ちが惹かれるのを感じた。報道機関宛にゲネプロの案内も届いていたのだが、それは日程の都合がつかなかったため、友人とともに初日の公演を観に行くことにした。

ベルギーの象徴主義の劇作家、モーリス・メーテルリンクの戯曲をもとに書かれたオペラ、「ペレアスとメリザンド」。時は中世ヨーロッパの架空の王国、アルモンド。その国の王太子であるゴローは既に若くない。ある日森の中でメリザンドという長い髪の若く美しい娘を見つけ、連れ帰り妻にする。城にはゴローの弟である若き王子ペレアスがおり、やがてペレアスとメリザンドは愛し合うようになる。徐々に二人の関係を疑うようになるゴロー。結婚指輪を失くしたメリザンドに暴力を振るい、先妻の息子イニョルドに彼女の寝室を覗かせ、ペレアスにも脅しをかけるなど、愛憎の念に苛まれていく。やがて城を出て行くことを決意したペレアスがメリザンドと最後の逢瀬を交わした際に、嫉妬に駆られたゴローはペレアスを殺してしまう。メリザンドも傷を負い、ゴローは過ちがあったのかと問いただすが、瀕死の状態になった彼女からはっきりとした答えは返ってこない。老王アルケルはゴローを慰め、メリザンドが産み落とした赤ん坊が残される……。

男女の三角関係が悲劇的な結末を迎える、という筋書きとしては単純な話ではあるが、この作品が持つ象徴性や幻想性は多くの音楽家をも魅了し、ドビュッシー以外ではフォーレが有名な劇付随音楽や組曲形式にしたものを書いているし、シェーンベルクにも同名の交響詩がある。しかしオペラという形式にしたこのドビュッシーの音楽は、よりリアルな物語の内容に踏み込んだものになっている。

icon-youtube-play フォーレ:ペレアスとメリザンド

icon-youtube-play シェーンベルク:ペレアスとメリザンド

印象深いのは主人公の女性メリザンドの存在である。彼女は森の中で拾われてくるが、その素性は明らかではなく謎に満ちている。また長く美しい髪は処女性や女性性を感じさせる。しかし一人の人間としてのメリザンドは主体性がなく、自身の考えや立場を主張するようなことはほとんどない。最後もゴローの問いかけに真実は曖昧なままに終わる。現代に生きる私たちから見るとあまりに受動的で、それは今作品の演出を手掛けたケイティ・ミッチェルにも違和感があったのだろう。ハイヒールとスリップドレスというセンシュアルな衣装でありながら、演出的にも扱いやすい長い髪を敢えて殊更に強調するようなことはせず、メリザンドは分身を舞台上に同時に存在させることで、彼女の内なる意識を具象化する。その分身の行動が更に憶測を呼び起こし、物語に散りばめられたあらゆる事象はメリザンドの心象風景となっていく。「深い森」は「寝室」に、「盲人の泉」は「スイミングプール」に。背景を置き換えることで幾重にも想像の余地を与える。

また最初と最後には音楽も台詞もなく、花嫁衣装のメリザンドが登場することで、このオペラ全体を一人の女性の夢であるかのように仕立て上げた。無音の中で彼女が演技するこの時間はオペラとしてはちょっと異質で、能の舞台にも似た静けさがあった。

夢と現実の混じり合う、この危うい世界観に必要なのは巧みな歌唱とリアルな演技で、特に男性歌手陣はその存在感を示した。中でもゴロー役のロラン・ナウリは初演された同じプロダクションのエクサン・プロヴァンス音楽祭にも出演しており、見事な演技を披露していた。

icon-youtube-play ドビュッシー :ペレアスとメリザンド(ケイティ・ミッチェル演出)

近年のオペラは登場人物の分身や、同時進行する物語が舞台上で展開されたり、またそれが映画的に映し出されたり、視覚的に要素が多くなっているので、ともすると音楽の存在感が薄れてしまうことも多い。しかし大野和士が指揮する東京フィルハーモニー交響楽団は「ペレアスとメリザンド」の本質を捉えたドビュッシーの音楽を雄弁に語っていた。

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