RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
ある日ちょっと喉の奥に微かな痛みを感じた。エアコンによる乾燥か、スタジオが寒いので冷えたのかと思っていた矢先、朝起きたら妙に怠い。熱を測ると36.7度。比較的平熱が高い私としては微熱には当たらない感じではある。
しかしこのご時世。その日は用事があって夫と神保町に行く予定だったのだが、一人で行ってもらい、家で大人しくすることにした。職場でも何人かコロナ感染者が出ていたので、念のために入手していた抗原検査キットを自宅で試してみたら陰性。少し安心して友人にLINEで事情を話すと、抗原検査キットは正確な結果が出ないことも多い、という話を聞く。
次第に不安を感じてきた。とりあえず翌日のコンサートをキャンセル。再び検温すると37.5度。これはかなりまずい……。ついに病院に発熱外来の予約を入れる。少し時間をおいた方が正確な結果が出る、という病院のすすめで翌朝10時の予約を取る。
案の定、熱は38.8度を超えてきた。これまでに経験したことのないような怠さが全身を襲い、フラフラになりながら病院へ向かう。当然院内には入れないので、発熱外来用の呼び鈴を押して外で待つ。その間保険証やカルテの準備と消毒、防護服の装着、検査キットの準備などがあるのだろう。10〜15分程度の時間が永遠に続くのか、と思われるほどに長く感じた。
結果やはり陽性。ああ、私もついにコロナ罹患者である。同時に夫は濃厚接触者になったが、たまたま出張と重なっていたのが幸いして陰性が確定。そのままホテル宿泊をしてもらった。これから仕事はどうなるのだろうか?一抹の不安が頭をよぎるが午前中は連絡メールを打つのが精一杯。関節も痛いし、体を起こしているだけで疲労困憊。ゼリー飲料を流し込み、カロナールを飲んでベッドに倒れる。
言うまでもなく、感染症とパンデミックは歴史の中で繰り返されている。ここでクラシック音楽の歴史も重ね合わせてみよう。現代より医学的知見も、衛生面も立ち遅れていた時代。天然痘、梅毒、ペスト、結核など、今では治療が確立されている病気も当時では不治の病だった。
少年時代のモーツァルトが天然痘にかかった時は失明の危機もあったという。幸いにして一命を取り留めたが、過酷な旅の生活が一因だったと言えるだろう。
モーツァルト:交響曲第6番ヘ長調K43
そして梅毒で僅か31歳の生涯を終えたシューベルトには死をテーマにした作品も多い。
シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調D810「死と乙女」
また結核ではショパンが思い浮かぶ。恋人のジョルジュ・サンドと療養を兼ねてスペインのマヨルカ島に逃避行したことは有名だ。しかしそこでの生活は健康を取り戻すには程遠いものだった。それにも関わらずいくつかの傑作が生まれている。
ショパン:ピアノソナタ 第2番変ロ短調Op35
さて、その後の私はと言うと、在宅で仕事をする準備をざっと整えたが、保健所の10日間自宅待機に加えて職場である放送局の独自ルールで3日間がプラスされ、2週間近くスタジオへの出入り禁止となってしまった。既に遅れていた番組納品をまずはやらなければならない。ヘロヘロになりながら自宅で編集。予定より大幅に時間オーバーで担当者にファイルを送ると、アナ尻がオーバーとの指摘。1分勘違いしていたのは熱で頭が朦朧としていたせいなのか、いわゆるブレイン・フォグなのか? 慌てて再編集する。
3日後は番組収録の予定だった。先輩ディレクターのIさんが代打でやってくれることになったが、ゲストがリモート出演だったため、私もzoomの遠隔操作で自宅から様子を伺いながら、リアルタイムの時間を費やす。それだけでどっと体力を消耗してしまった。しかしこれも無事に2本分の番組を収録。
先々のスケジュールもリスケしなければならない。玉突きで既に決まっていた予定も変更を余儀なくされる。方々に頭を下げまくってお願いし、気が付けばカレンダーの9月の前半はぽっかりと空いているのに対し、後半は予定がぎっしり詰まってしまった。致し方なし。
ところでコロナ罹患者となると、厚生労働省や東京都、区から病状についてLINEやショートメッセージが届く。フローチャート式で選択回答していくので、もちろん然程の手間ではないし、情報を収集する上では必要なのだろう。しかし初期は倦怠感も強いし、在宅仕事もあるし、何度も同じ質問に答えるのが億劫で、一本化できないのだろうか、と恨めしく思ったりもした。でもうっかりパルスオキシメーターの値を間違って入力してしまったら、区の担当の看護師さんからすぐに確認の連絡があったりして、それなりにきちんと患者の容体をチェックしてくれているのだな、と感じた。LINEが使えない人の場合は電話対応なのだろうか。想像するといろいろ大変である。
20世紀になった第一次世界大戦前後にはスペイン風邪が大流行し、ウィーンでもシェーンベルクが立ち上げた私的演奏協会では、大編成のオーケストラで演奏できなくなったため、小編成のアンサンブルで演奏するための編曲がなされた。マーラーの交響曲の室内楽版などはまさにそれである。ついこの間もそんなコンサートを聴いてきたばかりだったが、自分自身がコロナで倒れるとはその時は思いもよらなかった。
マーラー(シェーンベルク編):大地の歌
結局療養期間中に4つほど予定していたコンサートもキャンセルせざるを得なかった。まさにウィルスは人間の一瞬の隙をついてやってくる。これをお読みの方もくれぐれもお気を付けて。
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