

RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
都内でも有数の音響を誇るトッパンホールの新シーズンの記者会見が先日行われた。
2000年に開館したトッパンホールは今年25周年を迎える。ご存知のように過去5年間は世界的なパンデミックで音楽は沈黙を余儀なくされた。その間に中止となったコンサートは今ようやく再開されて、都内でもあちこちで来日公演がずれ込んで実施されている。その余波は新シーズンにも少なからず影響があるようだが、そこは通好みの音楽ファンに支えられているトッパンホール、趣向を凝らしたプログラムが続々とラインナップされている。
駅から遠く、決してアクセスがいいとは言い難いこのホールの公演が常に人気なのは、ひとえにプログラミングディレクターの西巻正史さんのセンスの賜物だろう。2016年にはホールとして初のサントリー音楽賞を受賞していることからもその功績を知ることができる。ドイツやオーストリアを中心に、フランスやイタリアの有望株、そして世界中の気鋭の音楽家を呼び込む審美眼と実行力、そしてなんといってもホールの豊かな音響特性を存分に生かしたプログラムの相乗効果で、室内楽という地味ながらその奥深い魅力を存分に楽しませてくれる。またここは若手育成という視点でも、ランチタイムコンサートという無料で開催される企画があり、そこから巣立った演奏家も数知れない。今では人気絶頂のピアニスト、藤田真央も高校生の時からこのトッパンホールに出演している。
記者会見では普段音楽を心地よく聴かせるこのホールの豊かな残響を少しフラットにするために壁の音響装置を作動させ、それを広報の藤瀬さんが説明した。このような特別な配慮も他のホールではあまり見かけない。さすがは世界の音楽家の耳をも唸らせるトッパンホールならではだと思った。
この日はもうひとつトピックがあった。ベーゼンドルファーの1909年製のピアノが特別に貸与されることになり、そのお披露目も。ベーゼンドルファーはリストやブラームス、ヨハン・シュトラウスなどに愛されたオーストリアのピアノ製作会社。現代でもその製法は伝統的なオーストリアのアルプスの木材を使い、職人たちによって丁寧に作られている。音楽史上錚々たる顔ぶれの音楽家たちに愛されたその音色は「ウィンナー・トーン」とも呼ばれ、貸与される”250”モデルは特に92鍵盤ある。これが更に深い倍音を響かせ、ふくよかな空気感を纏って立ち現れる。トッパンホールの音響とのマリアージュで音楽ファンをますます唸らせるのは間違いない。
モンポウ:ショパンの主題による変奏曲
後半にはこのベーゼンドルファーを使った若手演奏者たちによる演奏もあった。我々プレスの人間だけで聴くにはもったいないくらいの珠玉の時間。初めに兼重稔宏さんのバッハとブラームス。ここでは少し硬質なイメージも湛えた音色が広がる。ヴィンテージピアノながらクリアなタッチも実現する確かな技術—これはピアノの性能と奏者のテクニックともにいえることだが—に感心する。私は特に最後に演奏された川口成彦さんの弾くショパンのノクターン第2番が印象深く耳に残った。ベーゼンドルファーのショパン、というと一瞬イメージと合わないような気もするが、軽やかな三拍子と装飾音の絶妙なニュアンス、温もりのあるピアニシモ。川口さんはご存知のように第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールの受賞者で、古楽の聖地オランダでも研鑽を積んだ実力派ピアニストである。楽器と空間と奏者の幸福な出会いがあれば、お馴染みの名曲もこんなにも新鮮な魅力を持って聴こえるのだろうか。しばし陶然と余韻に浸る。
シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調D898
さて、10月からの新シーズンも音楽ファンをわくわくさせるプログラムが並ぶ。今回のベーゼンドルファーピアノとも共演していた人気チェリスト、笹沼樹さんも加わったフォーレ四重奏団とのTOPPANホール25周年室内楽フェスティバルをはじめ、ハーゲン・クァルテット長年の活動のフィナーレとなる公演。昨年体調を心配されたフランスピアノ界の至宝、ジャン・クロード・ペヌティエのプログラムも見るだけで胸が熱くなる。また絶好調の藤田真央と師であるゲルシュタインとのピアノ・デュオ、ゴーティエ・カプソンとフランク・ブラレイのコンビも注目。個人的にブラレイのピアノを生で聴けるのが嬉しい。ピアノ三重奏団として長く活躍するトリオ・ヴァンダラーの懐かしい名前も見える。もちろん正統派ティル・フェルナーと日本人奏者たちによる共演や、ベルリン古楽アカデミーなども聴き逃せない。
これらの素晴らしい企画を支えるホールスタッフの方々の丁寧な対応もいつも心を和ませてくれる。(この記者会見ではバウムクーヘンのお土産という心遣いも!)音楽界を巡る状況はどこも厳しくなっているが、真摯に独自路線を進み続けるTOPPANホールの歩みこそ、尊敬と信頼に足るものだと思う。
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