

RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
映画「教皇選挙」が話題だ。奇しくも現実のローマ教皇フランシスコが亡くなったことで注目を浴び、ロングランを続けている。
キリスト教といってもその教派はいくつかあるわけだが、教皇選挙が行われるのは世界最大のキリスト教の教派、カトリック教会の総本山であるバチカン。この最高指導者、ローマ教皇を決める選挙は「コンクラーべ」とも呼ばれる。コンクラーべとはラテン語で「鍵をかけて」という意味だそう。なんだかそれだけで密室感漂う。
世界に14億人いるといわれるカトリック信者の頂点に立つのがローマ教皇、次に枢機卿と呼ばれる教皇に任命された聖職者がいて、彼らの中で80歳未満の者が選挙に投票する資格を持つ。さらに枢機卿団という教皇を補佐するグループがあり、コンクラーべではその中の首席枢機卿が議長となって執り仕切る。現在枢機卿は世界に250人余り、そのうち投票権を持つのが135人だ。日本人の枢機卿も2人いて、彼らは2025年のコンクラーべにも参加している。
基本的に教皇はその生涯を終えるまで教皇の地位にある。自らの意思で辞任することも例外的にあり、最近では2013年にベネディクト16世が高齢を理由に辞任したことがあった。ちなみにベネディクト16世はドイツ出身ということもあり、クラシック音楽にも造詣があり、バッハやモーツァルトを好んでいたとか。
もともとキリスト教の音楽から発展してきたクラシック音楽。純粋に教会での祈りの音楽から、その形式を用いた後世の大作曲家による演奏会用のものまで、多くの作品が存在する。特にカトリックのミサの形式をとったレクイエムには名曲が多く、今日でもコンサートで頻繁に演奏される。
モーツァルト:レクイエム
さて映画「教皇選挙」では主人公のローレンス首席枢機卿を中心にストーリーが展開する。冒頭は教皇が死去するシーンから始まり、ここから知られざる儀式が次々と行われる。教皇の死を確認すると、その指から「漁夫の指輪」が外され、その場で破壊する。教皇の象徴でもある指輪の悪用を防ぐためだという。ちなみに「漁夫の指輪」とは元漁師であった聖人ぺトロにちなんでいるそうだ。ただちにバチカンはコンクラーベの準備に入る。伝統的な儀式を執り行いつつも、彼らのセキュリティは電子キーやパスワード、もちろん情報管理もPCが使用されている。世界中から集まった緋色の法衣を纏った枢機卿らがスマホを弄り、煙草をふかしたりしている中庭での様子。スマホはもちろん選挙期間には没収される。
実際のバチカンでロケをするわけにはいかず、こうした情景は全てセットだそうだが、なかなかリアルで上から俯瞰する映像や礼拝堂の中の陰影が美しい。
コンクラーベ期間は既に政治的な匂いが漂っている。ローレンスはリベラルな前教皇派である仲間のベリーニたちとともに保守派で伝統主義のテデスコを食い止めるべく、穏健派のトランブレ擁立に動くが、彼は前教皇との間にトラブルの噂があった。所詮どの世界においても人間の集団、権謀術数渦巻く図になるのは避けられない。様々な噂話や情報のリークに振り回されるローレンスを演じるのはイギリスの名優、レイフ・ファインズ。
票が割れ、アフリカ系のアデイエミが優勢となるが、選挙の様子を静かに見守っていた修道女による告発で過去が暴かれ、失脚。シスター・アグネスを演じるのはイザベラ・ロッセリーニ。そもそもコンクラーベ自体が男性だけのもので、女性である彼女の行動が選挙の行方を大きく変えたのも、強く印象に残る。やがて保守派の勢いを止めるため、ローレンス自身が望まぬ立候補をすることになるが、衝撃的なテロ事件により選挙は再び振り出しに戻る。リアルな世界情勢を彷彿とさせ、ハラハラする展開となっていく。そこに前教皇と親しかった南米のベニテス枢機卿が登場し、選挙結果はさらに意外な方向に……。
最後はネタバレになるので詳しくは書かないが、伝統と革新、理想と現実、そしてダイバーシティ。時代と共に課題を多く抱えているカトリック教会の内情を見事に描き出していて面白い。映画はタイトル通り「教皇選挙」を人間ドラマとして描くことを主眼としているので、苦悩する主役のローレンスでさえ、儀式としてのミサ以外に神に祈るシーンがほとんどないのがなんとも皮肉な気がしてしまった。
映画「教皇選挙」
映画の音楽はこの作品でアカデミー賞の作曲賞候補となっているフォルカー・バーデルマンが劇伴として、少ない楽器編成で緊張感溢れる音楽を作り上げていて秀逸なのだが、バチカンと音楽といえばやはりグレゴリオ聖歌。最古の音楽ともいわれるグレゴリオ聖歌は10世紀前には生まれ、教皇グレゴリウス1世が編纂したと信じられてきたことでこの名で呼ばれている。単旋律の聖歌は現在でもカトリック教会のミサや典礼で歌われ、1990年代初頭にはスペインのシロス修道院のベネディクト会士によるディスクが世界的にヒットしたことで日本にも波及し、いくつものグレゴリオ聖歌の録音がヒットチャートに登場するという現象が起こった。
現実のコンクラーベでは初のアメリカ出身の教皇、レオ14世が誕生した。世界最大のカトリック教徒の精神的指導者はどんな未来を描いているのだろうか。
グレゴリオ聖歌
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