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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

美しきピアニスト

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、楽器店勤務を経てラジオ制作会社へ。その後フリーランス。TOKYO FMで9年間早朝のクラシック音楽番組「SYMPHONIA」を制作。衛星デジタル音楽放送ミュージックバードではディレクター兼プロデューサーとして番組の企画制作を担当。自他ともに認めるファッションフリーク(週1回更新予定)

11月の最後に行ったコンサートはアレクサンドル・タローのピアノリサイタルだった。タローはフランスを代表するピアニスト。ミュンヘン国際音楽コンクール第2位受賞の実力、その活動はオーケストラとの共演だけでなく、室内楽やポピュラー音楽とのコラボレーション、斬新なプログラム構成など、常に音楽界に新風を巻き起こしてきた。シャンソンのバルバラへトリビュートしたアルバムや、スカルラッティのソナタ集、最近ではベートーヴェンの後期のソナタ集などが私の愛聴盤でもあったのだが、実演で聴くのは今回が初めてだった。プーランクのピアノ協奏曲という読売日本交響楽団との共演プログラムも別日にあったのだが、これは個人的にスケジュールが合わず断念したので、フランスのバロック作品を集めた「ヴェルサイユ」と題された今回のトッパンホールでのリサイタルを楽しみにしていた。

icon-youtube-play トリビュートアルバム「バルバラ」

もう一つ私がタローに興味を持ったのはその佇まいや身のこなしがとても優雅だったからである。聞けば母親はパリ・オペラ座のダンサーであり、子供の頃バレエをやっていたこともあるという。ピアニストはとかく前屈みの体勢を長年続けているから、姿勢があまりよくない人が多く、タローはそんな中にあってピアノに触れていなくても人目を引く存在だった。その証拠にミヒャエル・ハネケ監督作品の映画で役者として出演したこともある。ちなみにこの映画「愛、アムール」はカンヌ映画祭でパルム・ドール賞を受賞している。

icon-youtube-play 映画「愛、アムール」

長い手足を動かし舞台に出てきた彼は背が高く、それだけで美しい。少しはにかんだような表情から緊張している様子も伺えたが、その細身の身体からは意外なほど芯を捉えた質量の高い音がする。使用した楽器はヤマハのピアノという珍しい選択。実は彼は自宅にピアノを持たないという通常ではちょっと考えられないスタイルの演奏家でもある。しかし24時間365日、常にピアノに向き合っているというのは実はとてつもなく神経をすり減らす状態で、それは長い目で見た時、アーティストとして必ずしもプラスになるとは限らない。ピアノという楽器の、完成され過ぎているだけにある種の閉塞的な側面に、彼は距離を置いているような気がする。ダンサーや多ジャンルのアーティスト達との共演が多いのにも頷けるし、楽器自体の個性が強過ぎるスタインウェイやベーゼンドルファーなどを避けたのはそうした思いがあるからなのかもしれない。

だから演奏に集中する時は精神の危うさギリギリのところまで集中する。そのピアノは非常に繊細であり、しかし同時に内なる豊かな感情が迸る。そのバランスは計算ではなく自然発生的に存在するのである。それを紡ぎ出す時の指先(時に関節を伸ばしたり、引っ掻くように打鍵したり)や腕の脱力、姿勢や細かいペダリング、絶妙なフレージング、全てが理にかなっているのだが、視覚的にもそれが絵になる、という稀有なピアニストがタローである。

そしてそこから生まれ出る音の圧倒的な多彩さ。リュリ、クープラン、ロワイエ、ラモー……。フランスのバロック作品という一括りにしてしまえば、こんなにつまらないプログラムもないと思うのだが、曲の並べ方も彼独自の考えに基づくものであることは一目瞭然。速いパッセージは旋風のように速く、しっとりとした楽曲は墨絵のような静けさを称える。時に恥じらうように、時に大胆に挑発もする、様々な表情を浮かべるその音色。こんなにも心を揺さぶられるピアノは滅多に聴けるものではない。次から次へと展開される曲の流れに身を任せていたら、休憩なしの公演時間はあっという間に過ぎていった。それはまるで全体で大きな組曲を聴いたような感覚。これは近年やはり特異な才能と実力で注目のピアニスト、ヴィキングル・オラフソンのリサイタルで感じたのと似たような感覚だ。

icon-youtube-play アルバム「ヴェルサイユ」

そしてアンコール。一際笑顔を浮かべたタローがやおら紙を取り出して、少したどたどしい日本語でアンコール曲を紹介した。緊張から解放されたのか、アンコール2曲、ラモーの「未開人」とスカルラッティのソナタは躁状態とでも言うような演奏で、彼のデリケートな感受性が解き放たれた。そして3曲目の最後はやはり対比させるようにド・ヴィゼのサラバンドで鎮静させた。なんてエレガントなリサイタルだったことか!

やはりタローのファンで彼にインタビューをしたこともある友人で、音楽評論家でもあるK氏からのお薦めもあり、彼のラフマニノフの録音も改めて聴いたのだが、静かに燃え滾るようなタローの圧倒的な存在感のピアノはまた違う表情だった。ただこのアルバムは少々録音バランスが悪く、協奏曲としてはオーケストラの音があまりに雑然としているのが残念。しかしフランスのピアニスト、という枠にはめてしまうにはあまりにも多彩な彼のピアノを今後もっと生で聴いてみたい。
美しい音楽は美しい佇まいに宿るものなのだ。

icon-youtube-play ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番byアレクサンドル・タロー(P)

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