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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

七色のピアニスト

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、楽器店勤務を経てラジオ制作会社へ。その後フリーランス。TOKYO FMで9年間早朝のクラシック音楽番組「SYMPHONIA」を制作。衛星デジタル音楽放送ミュージックバードではディレクター兼プロデューサーとして番組の企画制作を担当。自他ともに認めるファッションフリーク(週1回更新予定)

昨年初めて聴いたアイスランドのピアニスト、ヴィキングル・オラフソンが今年も来日した。同じ紀尾井ホールと、今年はすみだトリフォニーホールでの協奏曲のプログラムも組まれていた。私は日程的にも先だった紀尾井ホールのソロ・リサイタルをまずは聴きに行くことにした。

ヴィキングル・オラフソンのピアノについては前回もこのコラムで書いたのだが、その色彩豊かな音色、声部を際立たせるタッチから浮かび上がる陰影や奥行き、そしてそれら優れた音楽のテクスチュアを美しく魅せるための考え抜かれたプログラム構成。演奏者としての力量はもちろんのこと、母国アイスランドで音楽祭を主催したり、他ジャンルのアーティスト達との共演など、構成力や企画力といったところまでその才能を遺憾なく発揮している。こうしたプロデューサー的な能力というのも現代の演奏家は持ち合わせているべきなのかもしれない。彼は昨今の演奏家の中でも実にモダンなピアニスト、と言えるだろう。

icon-youtube-play バッハ(バズーラ編):アヴェ・マリア

紀尾井ホールのプログラムで楽しみだったのは前半に配置されたラモーとドビュッシー。ラモーはその前のアレクサンドル・タローのリサイタルでも聴いていたので、その違いも聴き比べてみたかった。また透明度の高い彼のピアノで聴くドビュッシーの前奏曲はどんな世界を見せてくれるのだろう。わくわくしながら客席についた。全体的なプログラムの流れを重視する彼のコンサートでは、当然一曲ごとの拍手はしない。曲間のポーズは殆ど取らず、だからこそ曲と曲のつながりは調性や曲調で関連性を持たせてある。その流れがラモーからドビュッシーへとごく自然に受け継がれ、同じフランスの作曲家でもある二人の、バロックと20世紀の時間の隔たりを軽やかに超えていく。その心地良さ。

しかしここで私の意識は少し音楽から遠のいてしまった。実はコンサートが始まる前から少し体調が悪かったのだが、腹痛が襲ってきてしまったのだ。前半終わりの「ピアノのために」が個人的にあまり好みの曲ではないこともあり、だからこそオラフソンの演奏で聴くのを楽しみにしていたのだが、なにしろ全体の流れでプログラム構成する人だけに途中で席を立つこともできない。感嘆で盛り上がる休憩時間はほぼトイレで過ごすことになってしまった……。無念。

やや体調を持ち直した後半。ムソルグスキーの「展覧会の絵」も実は原典版のピアノで聴くのは苦手な作品だ。音が重層的過ぎて、下手な演奏で聴くとガチャガチャしてうるさいだけの魅力のない曲になってしまう。そう、この曲はもう一工夫が必要だ。ラヴェルの編曲で聴くオーケストラ版は大好きなのだが……。オラフソンは最初のプロムナードだけでも「おっ」と思うほど、少し音を足したり音型を変えたりアレンジを加えていた。そしてフィナーレの「キエフの大門」では彼にしては珍しい大音量の洪水の中でその響きを提示してみせた。

icon-youtube-play ムソルグスキー(ラヴェル編):展覧会の絵

しかしながら体調が万全でなかった後半、私はいまひとつ消化不良で終わってしまった感じがしたので、翌週のすみだトリフォニーホールでのコンサートも聴きに行くことを決意。こちらも開演直前に急な雨に降られたりして、なんだか呪われている感じもしたが、気を取り直す。オラフソンといえばやはりバッハ。冒頭はゴルトベルク変奏曲のアリアで始まった。この日のコンサートは〈変奏曲〉がキーワードで、彼自身がトークでそれを説明してくれた。続くもう一つのバッハは「イタリア風アリアと変奏」、そしてベートーヴェンの最後のピアノソナタ第32番ハ短調。これは第2楽章が変奏曲になっている。

icon-youtube-play バッハ:イタリア風アリアと変奏

一つのテーマを変化させていく変奏曲という形式はオラフソンのようなコンセプチュアルなプログラムを重視する演奏家に好まれる傾向がある。そこには作曲技法の粋が散りばめられているし、知的好奇心がそそられる何かがあるのだろう。特にベートーヴェンの32番のソナタはこうしたコンセプトなしに聴かせるのはとても難しい作品だ。どこか取り留めのない、掴み所のない曲になってしまうこともあるだけに、この日の構成も唸らせるものがあった。

後半のモーツァルトはピアノ協奏曲第24番ハ短調。こちらも第3楽章が変奏曲形式。ベートーヴェンのソナタと同じ調性でまずは流れを汲み、オーケストラの指揮も兼ねていたオラフソンだが、しっかりとした指揮振りに少々驚く。そしてピアノの第一音が放たれるとやはりその美しい音色にうっとりとしてしまった。オーケストラとの音のバランスも絶妙で、共演がホールを本拠地とする新日本フィルハーモニー交響楽団というのもあるのだろうが、これだけ全体の響きを意識して弾けるピアニストもそうそういないのではないか。ソロでも音を立体的に聴かせることができるのだから、耳が相当に良いのだろう。これは将来指揮者に転向する……なんてこともあるのかもしれない。

また彼は5つのピアノ協奏曲を初演しているという。今後日本で初演を聴かせてくれることもあるのだろうか。是非期待したい。今回もオラフソンの七色の音色に酔いしれた。

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