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南アフリカミュージック特集

南アフリカミュージック特集


南アフリカミュージック特集

南アフリカは多言語、多人種、多民族国家です。

南アフリカの言語事情は非常に複雑でして、国の総人口の約8割を占めるアフリカ系黒人の多くは、
ズールー語、コサ語、ソト語、ツワナ語等の言語を母国語とし、英語を話すこともできます。

多言語社会である南アフリカには人々によって歌い継がれている歌が多数在ありまして、
南アフリカの国民なら誰でも知っている曲の一つに「ショショローザ」という曲があります。

この曲は1950年代、
隣国のジンバブエから南アの鉱山へ出稼ぎに来た黒人達の労働歌、いわゆるワークソングでして、
辛くても前へ進もうという、日本でいうところの、上を向て歩こう的な歌して、歌詞はズールー語で書かれています。

1995年のラグビーワールドカップ、南アフリカ大会の公式ソングとなりまして、
アパルトヘイトが終わった後とは言え、人種を超えて人々は声高々にこの歌を歌いました。

今ではスポーツの応援には欠かせない存在となっており、2010年サッカーワールドカップでも公式ソング集に選ばれました。

また、昨今ではダンスミュージックが流行し、ハウス寄りのサウンドが多く存在します。
ミュージシャンはイギリスに移動御活躍するケースも多く、この辺は外交事情もあるのかもしれません。

icon-angle-double-right ジョナサン・バトラー

icon-youtube-play Jonathan Butlericon-music Lies

ジョナサンバトラーことジョナサン・ケネス・バトラーは1961年10月10日生まれ、56歳
南アフリカ・ケープタウン・アスローン出身のシンガーソングライターです。
ジャンルとしては、リズムアンドブルース、フュージョンになります。
ファーストシングルは南アフリカにて、初めての白人向けのラジオ局でプレイされた黒人音楽でして、
南アフリカのグラミー賞と言われている、サリー賞を受賞しました。

1977年にJive Recordsと契約し、
1980年代初めに英国に移住し、この曲”Lies”はBillboard’s Hot 100チャートで25位に達し、
グラミー賞でノミネートされ、彼がグローバルで認知された楽曲になります。

icon-angle-double-right トレヴァー・ラビン

icon-youtube-play Yes icon-music Love Will Find A Way

トレヴァー・ラビンこと、トレバー・チャールズ・ラビンは1954年1月13日生まれ、63歳
南アフリカ・ヨハネスブルグ出身のミュージシャン、ギタリストです。
セッションミュージシャンとして活躍し、ロックバンドイエスにも在籍していました。

1995年からラヴィンは映画の作曲を開始し、40本以上作品を作り、
11個のBMI賞を含む数々の賞を受賞しました 。

両親は音楽家でして、母親ジョイは、画家、バレエダンサー、女優、古典ピアニスト、
父のゴッドフリーは、 ヨハネスブルグ・フィルハーモニー管弦楽団の弁護士、指揮者、リード・バイオリニストでした。

1972年、ラビンはDuncan Faure 、Ronnie Robot、Neil Cloudのメンバーでバンド、The Conglomerationを結成し、
その後バンド名はラビットに変わり、1976年にシングル”チャーリー”をヒットさせました。

1978年、Rabinは南アフリカを離れ、 イギリス・ロンドンでのソロ音楽活動を開始しました、
制作会社”Blue Chip Music”を設立し、 Chrysalis Recordsとレコード契約を結びました。

この曲が収録されているYesの第12作目のアルバム”ビッグジェネレータ”はトレヴァー・ラビンがプロデューサー、
中心となって作成され、1987年にリリースされました。
アルバムの売り上げはアメリカで100万枚超え、プラチナ認定され、
ベストロック・パフォーマンスの グラミー賞にノミネートされました。

icon-angle-double-right ラッキー・デューべ

icon-youtube-play Lucky Dube icon-music Remember Me

ラッキー・デューべこと”ラッキー・フィリップ・デューブ ”は1964年8月3日生まれ、
南アフリカ、エルメロ出身のミュージシャンです。
ジャンルとしては、レゲエになり、
アフリカのレゲエを流行させた最初のアーティストの一人として認識されている、ラスタリファンです。

学生の頃にスカイウェイバンドと呼ばれる彼の最初のミュージカルアンサンブルを結成し、
5作目のアルバム”Kikuyu”からレゲエ色が強くなりました。

1993年のアルバム、”犠牲者”は世界中で100万部以上を売り上げ、
1995年に彼は”Motown”とのグローバルでの契約をし、アルバム”Trinity”は、
Motown買収したレーベルTabu Recordsの最初のリリースとなりました。

icon-angle-double-right ブラックコーヒー

icon-youtube-play BLACK COFFEE icon-music We Dance Again (feat. Nakhane Toure)

ブラック・コーヒーは1976年3月11日生まれ、41歳
南アフリカ・クワズール=ナタル・ダーバン出身の DJ、プロデューサーです。
これまでに、5枚のアルバムをリリースし、
イビサのDJ賞で”Breakthrough DJ Of The Year”賞を受賞した、アフリカでもっとも有名なDJ・プロデューサーの一人です。
キャリアのスタートとしては、SHANA(Simply Hot and Naturally African)というアフロポップトリオを結成し、
2003年にレッドブル・ミュージック・アカデミーで南アフリカの2人の参加者として選ばれ、
南アフリカのダンス・ミュージックシーンに登場しました。
最初の大ヒットは楽曲”Happiness”が”DJWork”アルバムでフィーチャーされたことから始まりました。

icon-angle-double-right LIQUIDEEP

icon-youtube-play LIQUIDEEP icon-music Alone

Liquideepは2007年に南アフリカ・ ヨハネスブルグで結成されたハウス・デュオです。
ボーカリストのZiyon、DJのRyzorのグループでして、
8つのナンバーワンのシングル、4つのナンバーワンのアルバムを持ち、
Channel O Music Awardにて4つのMTV Africa Music Awardsを受賞しました。
世界中で推定500万以上の売り上げを誇っています。

彼らは旅すること、異文化を尊重すること、芸術を愛することで、
世界的な魅力を持つアフリカのビートサウンドができるとコメントしています。
また、ライブでの演奏を好むことが多いそうです。

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